FTMがよく聞かれる質問~いつ目覚めたの?編~

こんにちは!

『FTMつよしくんの気になる言葉を考えるよ』ブログにお越しくださいましてありがとうございます!

今回はぼくがFTMであるとカミングアウトした時によく聞かれる質問とぼくの考えについてお話ししようと思います。

FTMという言葉の意味が分からない方はこちらへどうぞ!



いつ目覚めたの?

これ皆さんに聞かれるんですよね!ほとんどの方が聞いてくれます。

いつ自分が男だって目覚めたの?

もしくは

いつから男になりたいと思っていたの?

聞いてくる人の気持ちはよくわかるんだけど、でもこれってよく考えるとおかしな質問だと思いませんか?

あなたはいつから女(もしくは男)なんですか?

FTMやMTFじゃない方は、いつ自分が女とか男だと気付いたんですか?

わかりませんよね?(笑)

ぼくも全く同じです、わかりません(笑)

こちらも急に思い立ったわけじゃないんです(笑)

自分からは一生逃げられない

男になりたいとか、そういう次元でもない気がします。

そもそもなぜ自分は女の身体なんだろう?という疑問から入っているので

自分のことを女だと思ったことがない、というのが一番しっくりくる感覚です。男だと確信していた、というよりも、女じゃないと思っていたって感じです。

ぼくは小さな頃は、誰に言われたわけでもないけれど『きっと神様が間違えて作った失敗作なんだろう』と思ってました。卑屈になっていたわけじゃありません。『神様にも間違いくらいあるよね!忙しかったのかな(・・??』のパターンです(笑)

高校時代は女の子だと思わなければならないと思って一生懸命努力してもいました。

でも、自分を女の子だと思おうと努力をする女の子がいますか?(笑)

自分の身体が女であることはわかります。だから男だと思っていいのかわからなかったんですよね。自分は何者なのかわからなくて、何をしても不安と孤独でいっぱいで、心が満たされることはなかったように思います。

今思うと、ですが。

そんなぼくも今となっては男としてヘラヘラと心から笑って楽しく生きています。

でもその選択って、勇気を出して、というよりも、女として生きることに限界がきてしまって『死ぬ』か『自分の心に素直になる』かの二択から選んだという感じです。かっこ良くない(笑)しかも、死ぬの怖い無理生きるしかないからどうしよう、素直になろう。って思っただけです。尚更かっこ良くない(笑)

本当に、目覚めたなんて仰々しく言えるような状況じゃないんです(笑)

また、ぼくは自分が性同一性障害だと認めたくなかった気持ちが強くありました。

正直、セクシャルマイノリティに対してものすごい偏見を持っていたんです。つまり、『人の道を外れた変な人達だ』と思っていた。

そう思っているのに、自分がそこに素直に入る勇気なんてなかったわけです。死んだ方が楽だよね、くらいに思ってました(笑)

もう麻痺していたんですよね。心を殺すことに。何が不満で、何が違和感で、自分がどうしたいのか考えることを諦めて必死に自分を守る為にぼくは毎日を生きていた気がします。

顔に笑顔を貼り付けて、必要以上に他人がぼくの中に入ってくるのを牽制していました。だから、当時のぼくはロボットみたいだったと思います。

とても臆病で自信のない生き物でした。

ぼくが本当の自分から逃げきれなくなって追い詰められた時に取った行動は、ただの『諦め』です。それは紛れもなく、『諦め』以外の何者でもなかったように思います。

『あーもう無理だ。何をどうしたって、どこに逃げたって自分自身から逃げることはできないのね』

と。悟ったわけです、20歳の時に。(笑)

で、さっきの、死ぬの怖い無理生きるしかないからどうしよう、素直になろうになるわけです。その方がきっと楽なんじゃないかって思えたんでしょうね。

何度も言いますが、目覚めたなんて言えるほどたいそうなことじゃないんですよ(笑)むしろ寝たふりしてた感じですよね(笑)

自分の中ではすぐに折り合いはついたのですが、今度は人間社会の中での自分が問題です。急に男ですと言っても周りは戸惑うだけですからね(笑)

人は一人で生きているわけではありませんので、馴染まなければならない。ましてや、まだまだ学校と言う小さな社会で生きていましたから。

・・・よし、とりあえずお母さんに言ってみよう。

安易(笑)反対されるわけないし、たぶん気付いてそうだから手始めに話してみよー(* ̄0 ̄)/ オゥッ!!!(こういう時、勢いは大事です)

そこからは、本当の自分でいられる素晴らしさや、人と心が通うこと、繋がっていく幸せ、自分の気持ちを伝えられる喜び、知らなかった温かさが体中に巡っていって、そしてぼくはとても弱くなりました。

大切なものを得たことで、失くした時の痛みを知ったし、伝わる喜びを知ったことで、伝わらなかった時の悲しさを知りました。会いたいと思える人がいることで、会えない寂しさも知りました。

だからこそ後悔しないように努力する強さも知りました。

今まで本当は全然孤独じゃなかったことにも気が付きました。

自分が牽制していただけで、ずっとそばにいてくれたんだと。

一番大切だと勘違いしていたことを諦めて手放して初めて、ぼくは生き始めたんですね。きっと。そして、気付いたら生きることが楽しくて仕方なくなってたんです。

いつ目覚めたの?という質問には大体こういう形で経緯を話してます、ぼくは。

テキトーに20歳の時かなとか言ってもいいんですが、20歳の時に急に思い立って、よし、男になろう!って思うようなそういう『ダイエットしよー』的なノリのものだと思われたくないので、なるべくきちんとお話するようにしてます。

はっきり言うと初めから男だったよとしか言えないので。

でも、今お話した通り、そんな一筋縄ではいってないのが事実で、だからこんな偏屈な自分が形成されたのだとも思うので、そこのところは大事にしたい気持ちです。

まとめ

所詮、自分は自分でしかない』という言葉をぼくはとても大切にしています。

『これが自分だ!』って言葉は、その言葉自体が強すぎてとてもじゃないですがぼくは持っていられない。

『所詮、自分は自分でしかない』ってのはそんなよわっちいぼくでも持っていられる強さなんじゃないかなと思ってます。

諦めたらそこで試合終了だよという有名なセリフがありますが、ぼくは足掻いた後の諦め程強いものはないような気がしてます。

今回はここまで!

最後まで読んでいただきありがとうございます!

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